上市町でくらす

東大生、富山に帰る-子育てられ編3.祖父は5年で私の教育を完了した-

遥か彼方にある、愛の思い出

お墓イメージ

1994年8月19日、祖父が死んだ。
私が5歳のときだった。
だが27歳になった今でも、祖父の体温はこの肌で覚えている。
欲しいときに、望んだ以上の愛情を与えてくれる。無限の愛を覚えている。

 

 

これまでの人生では度々困難に出会ってきました。
九九を覚えるのはクラスで一番遅かったですし、高校のときは赤点ギリギリのテストもありました。大学では浪人して留年もしました。そのうえ大学卒業時点で無い内定、ニートになってしまいました。
どこかで心が折れてしまい、自殺していても何の不思議もありません。
それでも前進する意志を持ち続けたのは、この愛の思い出があったからです。
5年間で「無限の愛」を確信させてくれたことが、祖父の教育だったのです。

 

 

 

人生には生きる価値も意味もない。だが死ねない理由がある。

誰しも、特に親の愛情に恵まれなかった人は、思春期には自殺を考えることでしょう。
私も小学校高学年の頃には「生きる意味」について考え始め、中学生の頃には「人生には、少なくとも私の人生には、生きる価値も意味もないのだ」と悟るに到りました。
そして、さっさと首をくくって、この世からオサラバしようと考えました。賢いツバメは同じ巣に長居せず、名将は戦場を早々と引き上げるものですから。この世には私を引き付け、引き留めるものは何もありませんでしたし、今もありません。
ですが、まだあの世に行く訳にはいかないとも同時に悟ったのです。 「もし今の状態で他界すれば、あの世で祖父に合わせる顔がない」

 

 

ニーチェの言葉に「師の恩に報いるただ一つの方法は、師を超えることだ」とあったと記憶しています。
当時の私は祖父である竹島一雄や手塚治虫先生のような先達を超えるどころか、並んでさえいなません。いえ、同じ道を歩んでいると自称することさえ傲慢甚だしい。師を超えることが報恩ならば、未熟であるのは師に対する最大の裏切りとなりましょう。

 

だから、まだ死ねないのです。あの世の師に誇れるほど自分自身が立派になるまで、私は死ぬわけにはいかない。成長を止めるわけにはいかない。 これまでも、今も、そしてこれからも、私はそのように生きています。 自分の人生に価値も意味もないならば、それを自分で与えられるまで強くなる義務がある。

それが私の信念と覚悟です。
この強い思いがあればこそ、凡才ながらにして東大への入学を許可されたものと思っています。愛の無限性と永遠性を確信し、証明し続けているのが私の人生なのです。

 

 

 

次回『子育てられ編4.子供が自信を持つためのシンプルな方法』に続く。

 

 

ライター:竹島雄弥
富山県立富山中部高等学校卒業
東京大学農学部環境資源科学過程生物・環境工学専修卒業
大学卒業後、ふるさと富山にUターン。プロジェクトデザインに新卒で入社。
事務所内でのもっとも重要な仕事はおいしい紅茶を淹れることである。

 

 


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