移住者の声

~描いたイメージを富山で実現~ 新潟から結婚で移住 

児玉巧さん

新潟県新潟市秋葉区(旧新津市)出身の児玉巧さん(38)。東京の国士舘大学体育学部体育学科を卒業後、新潟県で幼児体操などを教えるスポーツクラブへ新卒で入社。週に1度、魚津市の幼稚園に来るようになり、そこで紹介されて出会った奥様との結婚を機に上市町へ移住。未就学児から小学生の体育の教室や、大人向けのヨガ教室などを開催する「スタジオじゆう」の理事長を務めている。

児玉さん

 
 

想像していたことを達成

――富山へ来られた経緯を教えてもらえますか?
東京の国士舘大学体育学部体育学科を卒業後、新潟県で幼児体操などを教えるスポーツクラブへ新卒で入社しました。正社員で3年間働いた後、契約変更で歩合制になったので、ほかに派遣のアルバイトなどをしてつなぎました。25歳の時、縁があって上越市から魚津市まで週1回来るように。幼稚園を回って園児の体操指導をしていたんです。そこで幼稚園の主任先生から、上市町で保育士をしている妻を紹介され、27歳で結婚しました。お義父さんから出された結婚の条件が「娘を新潟に嫁がせられない」というものだったので私が仕事を辞め、それまでとは逆の、週に1回だけ上越市に指導に行くという契約にしたんです。2年ほどは滑川市で生活し、ハローワークに通う毎日でした。

ボール教室の様子。1番左が児玉さん

ボール教室の様子。1番左が児玉さん

――それはかなりの覚悟が要りますよね。
いずれは仕事で独立したいという思いがあり、結婚する時、彼女のお父さんに構想を話したことで覚悟が決まりました。長男なので親兄弟には結婚直前まで反対されましたが、意志は固かったですね。子どもが結婚する時になってみて、親の気持ちが分かるのかもしれません。結婚後はプールの指導員のパートをしながらスーツに着替え、今の事業の元となった「こだま体操教室」の営業に回りました。新潟県では前の会社の影響力が強いので無理だと思っていたんですが、富山県は影響もなく、未開の土地だったので動きやすかったです。5年前の平成22年に「スタジオじゆう」を立ち上げ、半年後にNPOにしました。現在は体操・陸上など体育教室を自主開催しているほか、上市町や滑川市の委託で小学校・保育園の体操指導、カミールでの健康体操教室を行っています。
――独立を決めて実行してこられたんですね。
どうしても会社を持ちたくて、その一心で進んできました。今では実家の父もブログをチェックするのを楽しみにして、応援してくれています。60歳くらいになって事務所と体育館を併設した施設を持てればいいなと思っていたところ、義妹が上市町に体育館の売り物件があるのを見つけてくれました。すごく広かったので迷いましたが、思い切って契約しました。ヨガ講師の資格も取り、平成27年3月からヨガも教えています。今後も続けていき、人と共有していけたら自分にとって最大の幸福ですね。…こうやって話していると、想像していたイメージのことは既に今達成されていることに気付きました(笑)。毛糸を手繰り寄せる童話みたいですね。
――「毛糸玉の分だけ人生があり、主人公が実際に幸せに生きたのは4か月と6日だった」という話(アナトール・フランスの随想録「エピクロスの園」に登場する「人と精」)ですね。
そうです! 本当に、あっという間に感じます。

――イメージしてきたことを達成されているって、素晴らしいですね。

食べ物が人をつくる

――上市町で好きなスポットはどこですか?
大岩です。娘の「ふるさと学習」で、大岩山日石寺が霊験あらたかで由緒正しいお寺だということを知りました。旅館だんごやのそうめんも好きです。
――富山県の最初の印象はどうでしたか?
温和な雰囲気が漂っていると思いました。最初は敷居が高く感じたけど、関係性ができてしまえば一生ものなんだとすぐ分かりました。人が誰かの同僚とか家族、親戚、「友達の友達はみんな友達」のようにつながっていて、体操教室に来られた方から友人を紹介してもらえるなど、本当に良くしていただいてありがたいです。そういった中に入れていただいて感謝しています。富山県の中でも、上市町はもっとそうですね。人がいい、温かい。上市町に引っ越してすぐの村の夏祭りで、妻の勧めで名刺を配ったことが、最初の社員が見つかるきっかけでした。

また、食べ物が美味しいです。新潟県とは隣同士ですが、食卓に並ぶ魚が違うんですよ。「サス(カジキ)」の昆布締めが美味しいです。「すり身の味噌汁」も食べたことが無かったです。「白エビのお造り」これが1番びっくりしました。新潟には来ない食材ですね。食べ物が人をつくっていくので、そういう食文化も人間性に関係があるんですよね。自分も角が取れたように思います。
――「食べ物が人をつくる」っていいですね。
はい。富山の方々に助けていただいて今の形を作っているので、今後も富山に根差して認めていただけるよう頑張っていきます。

――そのために心がけておられることは何ですか?
今のこの仕事はサービス業だと思ってやっています。スタッフにいつも言っているのが、「『先生』と言われてもそれはあだ名のようなものなので、勘違いしてはいけない。指導者はその立場にあるだけで、ただの人。お客様(生徒さん)がいていただけるから私たちが存在しているので、大切なのはお客様の利益になるということ」です。そう思うきっかけとなったのが、派遣の仕事で銀行のATMのロール紙を作る作業や、有名メーカーの部品を並べて検査する作業など、いろいろやったことです。その時は体質に合わなくてフラフラになりましたが、強烈な体験として残りました。意外と何でもできるものだし、仕事に貴賤は無いと思えるようになったのが今に活きています。子どもたちの教室では、「始まりの時に線に並んで挨拶をしっかりしよう」とルール化するなど、生徒さんが安心感を持って楽しく活動できるようサービス的な要素を織り込んでいます。
――子どもたちは楽しそうに参加していますよね。大人の方にはヨガの教室があるんですよね。
はい。ヒマラヤからのヨガに惹かれてやっているんですが、人のお役に立てて健康につながるのがいいですね。今自分で試しているのが、肉食とお酒をやめ、どうなれるか取り組むことです。社会人として企業人として、整合性を持ってモデルケースになりたいです。
――今後、上市町でやりたいことは何ですか?
自分は、観光と健康がキーワードだと勝手に思っています。健康の3大要素は、運動、栄養、休養。今から瞑想やヨガなどを始めて、20年ぐらいかかるかもしれませんが、町の人達にぶっちぎり長寿になってもらいたい。そういった、健康寿命の平均年齢を上げることを町へプレゼンできたらいいですね。

はたらくらすコネクション記者・古野知晴のFuruno's voice!

いろいろな経験をしてこられていて、腰が低く、子どもたちにも丁寧に対応する児玉さん。描いたイメージを、想定していた年齢よりずっと早く達成されていることがすごいと思いました。「なるべくしてなった」という言葉がぴったりくるような気がします。もっと話が聴きたくなる、楽しいインタビューでした。子ども向けの教室では何かで嫌な思いをするような子がいないよう配慮されています。体操や運動の技術だけでなく、人に対する礼儀や取り組む際の意識も伝えておられるんだなぁと思いました。

 


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