移住者の声

~頭金なしで一軒家を新築~首都圏から富山へ移住

武田 清一さん

埼玉県越谷市出身の武田清一(せいいち)さん。東京都で育ち、コンピューター関係の会社に就職。結婚後、家を建てるのを機に奥さんの実家のある上市町へ移住。リードケミカル株式会社の本社(富山市)で働きながら、PTA活動や児童クラブ活動などで10年以上子どもに関わっている。

武田 清一さん(52)

武田 清一さん(52)

 
 

富山だと頭金なしで一軒家を新築

――武田さんのご出身は?
埼玉県越谷市に生まれ、東京都で育ちました。情報処理の専門学校卒業後、コンピューターのソフト会社へ入り、大手企業に出向してプログラマーやSE(システムエンジニア、システムの設計・開発・テストを手がける)の仕事をしていました。25歳の頃、上市町出身で正看護師の資格を取るために横浜に来ていた妻と会社の同僚の紹介で出会い、結婚。子どもも生まれ、お盆や正月休みには富山を訪れるようになりました。

――上市町へ移住された経緯を教えてもらえますか?
二世帯住宅を購入するかどうかという話が出た時、実家のある埼玉県は中古でも4千万円くらいと高額でしたが、義兄から「富山だと頭金がなくても一軒家が新築できる」と聞き、いろいろ話し合って富山へ来ることにしたんです。22年前、30歳の時でした。最初は上市町の借家に住んでいましたが、自分の家を持ちたかったので、1年後に一軒家を建てました。
――東京から富山へ移住するにあたって不安はなかったですか?
いえ、それまでも何度か富山に来たことがありましたし、私はむしろ子どもの頃から田舎が好きなんです。母の実家が福島県にあり、小学生時代の夏休みにはずっと祖母の家へ行っていました。近所の子と土器やカブトムシを探しに行ったり海で遊んだりと、自然の中で過ごしていたんです。それに東京での前職時代、残業が多く、0時台の終電で帰るか会社近くの寮に泊まって週末だけ帰るといったハードな生活を送っていたので、残業やコンピューターの世界に疲れていたんです。残業代の方が基本給よりも高いなんてこともよくありました。そういうこともあって、都会よりも田舎を選びました。
――お仕事はどうされましたか?
タイミングよく募集していたリードケミカル株式会社に中途採用で入社しました。所属は富山市にある本社です。10~15分で行ける距離なので、通勤は楽ですね。富山に来てみるとほとんど残業がありませんでしたし、そういうのがすごく気持ち良かったです。
――仕事内容もお聞きしてもいいですか?
リードケミカル株式会社は富山市と上市町に合わせて4つの工場があり、そのすべての原材料の発注を本社で行っています。私の担当はコンピュータを使ってこの原材料を発注すること。いつ頃、何をどれくらい必要かを予測して注文します。1カ月先に材料が揃っていなければ工場を止めてしまうことになるため、日々の調整の見極めが難しいです。神戸や東北の大震災の時にはメーカーからの供給が止まることもありましたが、それらを最小限に抑えることや、他課の間を調整するのも業務の一環です。

PTA活動を通して人脈を形成

――富山に移住されてからの印象はどうでしたか?
雨が多いイメージですね。あと、22年前は雪が嫌だなと思っていました。都心では1シーズンに1回降る程度、それもシャーベット状になるくらいでした。でも、富山でも10年ほど前からは雪も少なくなり、とても住みやすいです。冬の運転はスタッドレスタイヤさえ履けば苦ではありません。温暖化の影響かもしれませんが、気候的にも過ごしやすくなりましたね。

白竜橋から望む立山連峰

白竜橋から望む立山連峰

――上市町の好きなところはどこですか?
のんびりできるところです。富山市のベッドタウンとしても、上市町はとても近いのですごくいいですね。車ですぐに行き来できるので、おすすめです。あと、北アルプス(立山連峰)のシルエットも、毎日見ているうちに好きになりました。地物の食材は、スーパーで買って食べても美味しいです。富山ならではの食材では、ホタルイカや魚のすり身が好きです。年に1~2回は大岩のそうめんを食べに行きますし、去年は上市町出身の民謡歌手・寺崎美幸さんの歌とおわらのイベント「大岩おわら宵の盆」へも行きました。風情があってとても良かったです。

キャンプの様子

キャンプの様子

――ご近所づきあいはどのようにされていったんですか?
うちは子どもが3人姉妹なので、住んで1~2年したらPTA執行部の役員が回ってきたんです。この地区には同じ時期に建てられた家が多く、人が集まってきた時でした。PTAでは30~40代の時にソフトバレー大会に出場しましたし、保育園や児童クラブの役員なども経て、知人が増えていきました。

流しそうめんをした様子

流しそうめんをした様子

児童クラブでは、「生きる力を育てる」のを目的に、自然に触れる企画を多くしました。富山市を周り、上市町の早乙女湖そばにある剱親自然公園でのキャンプや、木材でフォトフレームを作る木工教室を開催しました。毎年お盆の8月13日に開かれる「ふるさと観光 上市まつり」の町流しに児童クラブで参加し、踊ったこともありますよ。10年以上前から、地元の子どもとおじいちゃんおばあちゃんに交流してもらおうと、町内会の納涼祭を開催しています。割れないビニールのヨーヨーやサイコロゲーム、ビンゴ大会など、子どもたちが楽しめるものを用意し、当日の司会も担当しています。

児童クラブ育成会の活動

児童クラブ育成会の活動

――PTA活動を通して人脈を広げられていったんですね。
そうですね。今はもう子どもも成長して、上の2人は就職しました。下の子は高校2年生なのですが、今後もいろんな活動で忙しくなるかもしれませんね。
――最後に、上市町や富山県への移住をお考えの方にアドバイスをお願いします。
地方の生活はのんびりしているところがおすすめです。都会はイベントも多く、盛り上がって楽しいけれど、どこか息苦しさを感じます。30代くらいで、そんな息苦しさの原因を考えている人にはぜひ上市町をおすすめします。富山では都会のような満員電車もないですし…、東京の満員電車では、つかまるところのない人が手を窓についていて割れたのを目撃したことがあるくらいです。富山の車通勤も楽しいです。

――満員電車で窓が割れるって恐ろしいですね…。
給料は都会の方が多いですが、生活費や娯楽にかかる費用など見えないところで出て行くお金も多い。富山は東京より給料が少なくても、一軒家が持てて心のゆとりも生まれる良い環境です。都会でお金や便利さを求めるか、地方で気持ちやゆとりに魅力を感じるかによって違うと思いますが、何かのきっかけがあってここに来たら、すごくいいところだと分かりますよ。
――そうですね。武田さん、今日はどうもありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。

武田さんは、上市町は「30代くらいで都会の生活に息苦しさを感じている人」におすすめだと言われました。家庭を持ち、子どもが生まれ、仕事や人生、家族の在り方について考えた時、そこに選択肢が生まれるのだと思います。そのまま都会で暮らすか、田舎へ引越すか…。人生は選択の連続。自分や家族が何を大切にするか、価値観の違いやちょっとしたタイミングで進む道が異なります。いきなり移住とまではいかなくても、踏み出す第一歩はその土地を訪れてみるところから。移住を検討中の方は、ぜひ上市町へ遊びに来てくださいね。


Comments

comments