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変化を続けるロングセラー・MUHIブランドで売り上げ4倍に!
株式会社 池田模範堂(いけだもはんどう)
虫さされ・かゆみ止めの薬として長年愛されてきた薬、ムヒのブランドで外用剤のトップの座を誇る、創業100年の会社。1989年(平成元年)、日本で初めて医薬品の虫よけを発売、翌年には日本初の医薬品のキャラクター商品を発売。「ムヒパッチ」「こどもかぜシロップ」にアンパンマンを起用し大人気に。定番となった大ヒット商品・ムヒSの販売にとどまらず、液体ムヒや子ども用、携帯用などシリーズで展開し、ムヒS本体の中身も改良を重ねるなど、常に変身への挑戦を続けてきた。
オンリーワンの商品開発
創業は1909年(明治42年)、池田嘉市郎氏による家庭配置薬の販売から。5年後には「社会の模範たれ」という意図を込めて、称号を「池田模範堂」と決定。1926年(大正15年)に2代目の池田嘉吉氏がムヒの製造を開始し、「卸売業から製造業への変身」を遂げる。初期のムヒは缶入りのワセリン軟膏で、名前には「天下無比、唯一無比な薬を目指す」という意味が込められていた。1927年(昭和2年)、当時では珍しいチューブ入りのムヒを発売。1931年(昭和6年)には新処方の白いクリーム状のムヒを発売し、大ヒットとなる。1947年(昭和22年)に東京・大阪・名古屋に代理店を設置し、薬局販売を開始。翌年には株式会社に組織変更した。1962年(昭和37年)、香港へ輸出を開始した「無比膏」はコピー商品も出回る大ヒットとなる。1971年(昭和46年)、手が汚れずに塗れる画期的な商品「液体ムヒ」を発売。1989年(平成元年)、日本で初めて医薬品の虫よけを発売。現状に満足することなく、次々とオンリーワンとなる新商品を開発してきた。
虫よけと虫さされ両面からのアプローチ
創業から4代目となる現社長・池田嘉津弘(かつひろ)氏(54)は、東京大学薬学部を卒業後、東京で医薬品の原料を扱う化学薬品系の専門商社で6年間勤めた。30歳前には戻るつもりだったのと先代から「そろそろ戻って来い」と要望があったことから、1988年(昭和63年)、28歳で池田模範堂に入社。入ってすぐ研究所へ配属され、当時専務だったおじのかばん持ちをしながら会社について学ぶ毎日だった。
翌1989年(平成元年)、有効成分を12%配合した日本初の医薬品の虫よけ「ムシペールα」を発売(それまでも虫よけはあったものの、有効成分10%以下の医薬部外品だった)。「虫よけはかゆみ止めのムヒと競合する商品だけど、汗で流れることもあるので100%完全ではない。少しでも刺されるのを防ぐためのもので、刺されたときのためにムヒがあるんです」と池田社長は言う。
専務の孫がアンパンマン好きだったことから、1990年(平成2年)にアンパンマンのキャラクターを用いた医薬品「ムヒパッチ」、「ムヒソフト」を発売。池田氏は、研究所長、工場長を経て1998年(平成10年)に39歳で社長に就任した。
「変身への挑戦」を続ける
――現在、売り上げは約133億円とのことですが、入社されたときと社長就任時はどうだったんですか?
入社当時(1988年)は約28億円でした。社長就任時(1998年)が69億円です。
――入社当時から現在までは約4.8倍、社長就任時からは約2倍になっているんですね。すごい成長ですよね。その成功要因は何でしょう?
「変身への挑戦」を常に続けてきたことです。上場企業であった商社で経験したことで、池田模範堂の特徴に気付いた部分も大きかったです。研究所長になってから、研究所幹部と商品開発の方向性を転換し、数年かけて薬局用の医薬品にシフトしていくことを決めました。当時開発していた医療用の新薬は、世に出るのに20年かかるなど、成果が出にくかったんです。その上、大手との提携が必要で得られるメリットは少なく、うまくいく見込みが低いと判断しました。この決断が功を奏し、技術を活かして研究を重ねたことで、ムヒSは様々なラインナップをそろえることとなりました。
――経営スローガンの通り、常に「変身への挑戦」を続けて来られたんですね。
入った頃、会社は守りの姿勢だったんです。でも100年歴史があるからいいということにはならない。守るだけじゃダメなんです。資源を活かさないと。消えていった商品や辞めた事業も多いですよ。残ったのは1,000の内3つもありません。一時期爆発的に売れたカルシウムウエハースをはじめ、サプリメント、介護用品、トイレなどもありましたが、本来我々がやるべき商品じゃないものは消えていきました。あれこれ手を広げるより、せっかくの強みを生かして発展させていくことが大事です。
幸いうちの会社にはムヒがあったので、そこに資源を集中させていろいろな品揃えをすることで、活気が出てきました。虫さされのムヒは夏の商品なので、通年型の「デリケア」や冬の基盤となる「ヒビケア」を発売しました。市場は空いているわけではなく、既に他社の商品があったので、我々の商品が圧倒的に良くなければ売れません。「ヒビケア」で傷口が塞がっていき、ヒビが治るんだということが分かって、発売から数年はすごい勢いで売れていきました。今は落ち着き、他の商品と共存しています。
リーダーとしてのスタイル
――1998年(平成10年)に代表に就任されましたが、どんなことが大変でしたか?
先代の社長の息子として入ったので、社長や会長が常に横にいる状態でした。古株の方もたくさんいらして、快適なハズがない(笑)。父はカリスマ経営者でした。ワンマンで実績もあり、リーダーシップのある家長という認識だったんです。これは次に引き継ぐ人間として非常に困る。同じようにはできないですから。そこで、自分のスタイルを確立していきました。社員が自分の意見を言いやすいよう、いろんな話をひたすら聴くんです。不安に感じていることでも実は答えはみんなが持っているから、いいタイミングでちょっと押すことで行動を少しずつ変えていく。なるべくみんなが自主的にやり、変わっていくようにしたんです。そうすることで社員が意欲を持って働けるようになりました。これは特別なことではなく、長い年月をかけ、自然に培っていった感覚ですね。絶対いいものを販売するために、いいなと思ったものは全力で応援します。
――池田模範堂の強みとはどんなものですか?
まず、ムヒブランドのブランド資産。次に塗り薬(外用剤)の開発技術。そしてこの素晴らしい社員の力です。
――「素晴らしい社員の方の力」、素敵ですね。求めていらっしゃるのはどんな人材ですか?
採用するときは、挑戦心と発想力を持っているか、創造性があるかを見抜くようにしています。自己中心的だと困るので、チームプレーのできる人…、自分勝手じゃない人ですね。能力が高くて協調性のない人より、ほどほどで協調性のある人の方がいい。研究者は元々優秀な人が多く、過去は県内の人が多かったですが、ここ数年は北海道から沖縄まで、県外出身の人が増えています。
肌の悩みに応え続ける会社
――「変身への挑戦」を続けるために意識されていることは何ですか?
まず、小さな改良を続けることです。ムヒ1つとっても、昔のムヒとは中身が違いますよ。絶えず改善を重ねています。
――そうなんですか!
方向性をきちんと定めて「変身への挑戦」をすれば、悪い方へはいかないんです。個人としては保守的ですが、役割を演じるためにはこれを常に頭において行動しなければと思っています。元々業界が保守的なので、新しいことをするのは難しい。今月から医薬品のインターネット販売が解禁されましたが、病人が増えるわけではなく規制も厳しいので、競合がどんどん増えることはない。あまり大きな変化はないかもしれません。例えばムヒ派とウナ派、キンカン派があるように、一度決めたらなかなか薬を変えようと思わないですよね。次に、現状の強みを生かしながら、新たに人に喜ばれる商品を作っていく。いま出している商品にさらにプラスしてみなさんに「こんなの今までなかった」と喜んでもらえるいい商品を出したいです。我々の商品を使って治ったという人から感謝の手紙やメッセージが届くことがあるんですが、すごく嬉しいですね。2011年(平成23年)には企業CI(コーポレートアイデンティティ)を変更して「肌を治すチカラ MUHI」としたんですが、これは得意分野の虫さされ薬だけでなく、もっと幅広くお肌の悩みを解決できる企業となりたい、もっとお客様のお役に立てるようになりたいとの想いを形にしたものです。これを受けて2012年(平成24年)には頭皮のかゆみ・湿疹治療薬「ムヒHD」を発売し、頭皮治療薬という新しい市場開拓に挑戦して幸いにもヒットさせることができました。
――そうなんですか。新しいステージでも「変身への挑戦」をされているんですね。池田社長、今日はありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
MUHIブランドを支える社員の声
会社の中でも、特に元気のある3人に話を聞けました。
入社2年目の池田優大(ゆうだい)さん(19)は、工場の製造部署「秤量(ひょうりょう)チーム」で働いています。「やっと1年経って一通り作業できるようになり、1人でやる仕事を与えられるようになりました。全国で販売されている商品は、自分たち秤量チーム6人で量っているということにやりがいを感じています。スピード・知識があって正確に作業できるリーダーのように、いろいろ任される人間になりたいです。名古屋支店や東京支店など、全社員集まっての経営計画発表会という会食の場(パーティー)があるんですが、日頃の仕事では会わない人と交流するのが楽しかったです。」と話してくれました。
同じく秤量チームの石川美紀さん(27)は、10年目の中堅社員。「長く愛されているムヒを作っているまじめな会社で、チャイムが鳴るので学校のようでもあります(笑)。自分1人で判断せず、いろんな人に相談を持ち掛け、必ず報告するようにしています。子育てと仕事の両立を頑張っているんですが、時短勤務させていただいて助かっています。時短勤務は小学校卒業までと法定基準より期間が長いのもありがたいです。」と聞かせてくれました。
入社1年未満の高橋未穂さん(23)は、製造の包装部署で働く新人さん。「入社してまだ8か月です。チューブのもの、液体のもの…、包装で10あるラインの特徴を理解し、1つ1つ覚えていくことを必死に頑張っています。周りの人に迷惑をかけないよう、わからないことはベテランの人に聞いてから作業しています。みんな忙しいけど丁寧に教えてくれるのでありがたいです。育児介護休業制度がちゃんとあり、研修制度もしっかりしているのですごくいいですね」と話してくれました。
まず、会社のエントランスにはムヒを持ったアンパンマンの像があり、カーペットにもアンパンマンやバイキンマンがいるというかわいらしさに目を奪われました。
ちなみにわが家では、アンパンマンのムヒパッチを愛用しています。
写真撮影では高橋さんがいる包装の部署に入らせてもらったのですが、そこへ向かう通路では空調が内部から外部へと流れていき、虫などが侵入しないようになっていたり、粘着テープでスリッパの裏の埃を取ったりするという1つ1つの工夫に驚きました。こうやって厳重に管理されているからこそ、全国で長年愛されるムヒのブランドが守られているわけですね。商品には必ずSカーブという衰退期があるそうですが、そのたびに新しい商品が発売され、既存の商品も一緒になって販売力が上がるという素晴らしいサイクルができているということです。こんなに大きな会社が身近にあり、地域に住む人達が働いているなんて、地域に住む側としても誇らしいですね。
ところで、取材に行ってから、昔テレビCMで流れていた「池田、池田、模範堂~♪」の曲が頭の中でリピートして離れません…(笑)。
●DATA●
企業名 | 株式会社 池田模範堂(いけだもはんどう) |
住所 | 上市町神田(じんでん)16番地 |
電話番号 | 076-472-1133 |
FAX番号 | 076-472-0092 |
ホームページ | https://www.ikedamohando.co.jp |
Facebookページ | なし |
設立年月日 | 創業 1909年(明治42年) 設立 1948年(昭和23年) |
代表取締役 | 池田 嘉津弘 |
事業内容 | 医薬品の製造販売 |
主力製品・商品 | ムヒS、液体ムヒS2a、ポケムヒS、ムヒパッチA、ヒビケア、デリケアエムズ |
会社・製品の強み | 外用剤のトップメーカーであり、特に虫さされ・かゆみ止めの分野ではムヒのブランドでトップの座を誇ります。 |
上市町との関わり・創業の決め手 | 池田嘉市郎氏が家庭配置薬販売を始め、創業100年あまり。上市町に本社を置き、地元に根差した企業活動を行っています。 |
学生へのメッセージ・アピールポイント | “変身への挑戦”を経営スローガンに、一番手商品を世に出しています。一緒に挑戦したい方をお待ちしています! |
主な実績 | • アンパンマンのブランドで医薬品としては日本で初めてキャラクター商品を開発しました。 • 学会や研究機関へ若手の社員を派遣し、常に新しい情報の収集と技術の向上を目指しています。 |
資本金 | 9,516万円 |
勤務時間 | 8:30~17:30 |
休日 | 完全週休二日制、年間120日前後、その他有給休暇など |
従業員数 | 338名(2023年4月現在) |
売上高 | 平成23年121億5,000万円/平成24年125億7,000万円/ 平成25年133億3,000万円 |
採用実績 | 2011年度 新卒3人 中途採用6人 2012年度 新卒11人 中途採用12人 2013年度 新卒7人 中途採用14人 2015年度 新卒9人 中途採用9人 2016年度 新卒2人 中途採用8人 2017年度 新卒7人 中途採用8人 |
福利厚生 / 従業員特典 | 保険(健康、雇用)、厚生年金、住居手当、 資格支援(仕事に関する通信教育と講習会への参加費全額補助)、 子育て支援(子どもが1歳6か月になるまで育児休暇取得可、 子どもが小学生まで時短勤務可)、社員旅行あり、 サークル活動(フットサル、バドミントン) |