上市町ではたらく

繊維産業の新たな未来を創造

細川機業株式会社

1891年(明治24年)に細川家12代細川庄左衛門が「細川機業場」として絹羽二重(はぶたえ)織物の工業生産を始めて以来、創業120年を超える繊維会社。「機業(きぎょう)」の「機」は「機(はた)織り」を表している。絹織物の製造技術・ノウハウをもとに時代の変遷に適応してきた。今日では衣料用織物以外にも、土木資材用の炭素繊維織物やティーバッグ用の食品フィルター織物、和紙糸によるスニーカー素材の生産などに販路を広げている。

取締役社長 細川泰郎さん(69)

取締役社長 細川泰郎さん(69)

 
 

水が豊富な土地で糸から織物まで一貫生産

工場内にある本社屋

工場内にある本社屋

――会社について教えてもらえますか。

 当社は、合成繊維、天然繊維による織物の製造と、精練(せいれん)加工を行っている織物製造会社です。現在は主に婦人衣料向けの織物をはじめ、食品包装資材・産業資材・和紙布など、多彩な織物を生産しています。糸を撚(よ)ったり合わせたりという加工を施して織機で織り、さらに精練加工まで自社で行える一貫体制を持っているのが強みです。使う糸は合成繊維から天然繊維、炭素繊維ほか、用途に応じて多様化しています。

昔ながらの機械を使う撚糸(ねんし)工程

昔ながらの機械を使う撚糸(ねんし)工程

――精練とはどういった作業のことですか?

 精練とは、織った布をお湯に通して洗浄し、汚れや付着物などを除去することですが、素材によってはその際に織物に衝撃・振動を与えて縮ませたりすることで、生地の表面に変化をもたせる工程です。撚られた糸は縮もうとする力が生まれますが、いったん軽い熱をかけ糸の力を止めて織り上げた後、精練の際にその温度よりも少し高いお湯に通すと、また縮もうとする力が戻り布の表面に縮みシワができます。これを「シボ(シワ模様)をつくる」と言い、それをさらに衝撃を与えて揉むことによって柔らかさが出ます。

整経(せいけい)工程の作業風景1

整経(せいけい)工程の作業風景1

――その際に水が必要なんですね。

 そうです。古来より、織物を作るためには豊富な水が欠かせません。精練加工のほか、織機にも水の力で糸を飛ばすものがあります。上市町は立山山脈の伏流水があるため水が豊富で、また落差のある河川の存在によって水力による発電量も大きく、織物の設備・機械・温調などに用いる電力が確保されていることも織物産業に適した所だと言えます。当社は細川庄左衛門(しょうざえもん)が繊維産業を興そうと創業し、126年になりますが、あくまでも地場の産業として、上市町で事業を継続してきました。

――とても歴史がありますね。細川社長は何代目ですか。

 17代目ですが、現在の株式会社組織になってからは4代目ということになります。1978年(昭和53年)に入社し、1990年(平成2年)から社長を務めています。

時代の変遷に適応して新たな製品を開発

力織機で使われていた「シャトル」

力織機で使われていた「シャトル」

――創業からの経緯を教えてもらえますか?

 上市町を含む新川地区では江戸時代から「新川木綿(にいかわもめん)」と呼ばれる白木綿織りの生産が盛んでしたが、当家の12代庄左衛門が、明治時代(1868年~)に入り衰退しつつあった木綿業に替わる産業を振興しようと、福井県や石川県で盛んだった輸出用の絹羽二重織物の生産をこの地に導入したのが始まりです。それまでの素材と異なる糸で織物の工業生産を確立するまでには相当な苦労があり、先進産地から技術者を招聘(しょうへい)して完成させたと聞いています。

整経(せいけい)工程の作業風景2

整経(せいけい)工程の作業風景2

 1912年、大正時代に入ると、その羽二重織物も輸出先の現地での生産や商品の陳腐化から市場が縮小したため、より高度な織物として糸に撚りをかけてできるちりめん・ジョーゼット織物等の開発を進めるなど、糸加工技術に力を入れてきました。1920年代(大正時代末期)にはレーヨンと呼ばれる人造絹糸の製造が盛んになり、当社も絹で培った糸加工の技術を駆使して“ベンベルグ”という差別化レーヨン糸によるジョーゼット(糸に強い撚りをかけて織った織物)を開発し海外に輸出しました。

引込(ドローイング)工程の作業風景

引込(ドローイング)工程の作業風景

 そして、1950年代後半にナイロンやポリエステルといった合成繊維の製造が日本でも始まった頃、東洋レーヨン株式会社(現東レ株式会社)に大学の同窓で知己を得ていた15代庄太郎がいち早くナイロン糸に着目して東洋レーヨン社と協働して織物開発を進め、ナイロン、ポリエステルといった合成繊維による高度なファッション衣料素材の開発、生産に全面的に切り替わりました。これもレーヨン糸とは全く性質の異なる糸でしたが、積み上げてきた糸の加工ノウハウや製織のノウハウを活かすことで、ものにすることができました。

製品が使われている婦人用衣料

製品が使われている婦人用衣料

――天然繊維から人造繊維、合成繊維と替わっていったんですね。

 1960年代になると、北陸の繊維産業のほとんどが合成繊維になりました。当社で開発し生産する織物は、元来絹織物からの発想のものでしたが、合成繊維ならではの特長を引き出し、欧米を中心としたファッション衣料市場に大量に供給されました。これらは昔全て絹で作られていたもの。絹は糸が細くてつややかです。しなやかでドレープ性に富み、スタイルを美しく見せてくれました。北陸の産地は、絹織物で培った経験を活かしながら、機能性と生産性に優れた合成繊維を用いていかに絹のような織物を作ることができるかを志向して発展してきたんです。天然繊維も合成繊維も、気温や湿度によって微妙に性質が変化します。特に湿度は重要なので、乾燥度の高いところは織物に向いていなかったんです。

昭和天皇のご来町を報じた「町報かみいち第186号(1969年発行)」

昭和天皇のご来町を報じた「町報かみいち第186号(1969年発行)」

 ちなみに、岐阜県や愛知県は毛織物、静岡県は綿織物、丹後(京都府)や桐生(群馬県)は伝統的絹織物で着物や帯など、また四国の今治はタオルの産地として知られています。

――1969年(昭和44年)5月には、全国植樹祭のためにご来県された昭和天皇が、細川機業さんの工場見学にもいらっしゃったんですよね。

 はい、富山県での植樹祭の時に、天皇皇后両陛下の行幸啓がありました。当日は土砂降りの天気でしたが、上市町の要人を始め大勢の町民・社員で傘も差さずにお迎えし、両陛下はにこやかにお応えになりました。大声で万歳を叫んだのを覚えています。私の父、16代永太郎が工場をご案内しましたが、当時、音杉工場は建設途上で、行幸啓が決まりご昼食を召し上がることにもなって、この本社屋を急ピッチで完成させました。

ティーバッグや防弾チョッキなどへも展開

――事業を承継される中でどんなことが大変でしたか?

 日本経済が強くなっていた1970年代、ニクソン・ショックとオイルショックが相次ぎ、繊維産業の輸出環境が一変しました。韓国、台湾、インドネシア、中国などでこういった繊維産業が盛んになり、日本の繊維産業が曲がり角を迎えた時期です。1973年にはそれまでの固定レート(1ドル=360円)から変動相場制に移行し、日本円のレートが高くなったために海外との価格競争に勝てなくなっていったんです。今では当時の3倍の円高となる1ドル=120円ですね。これは繊維産業だけでなく、日本の輸出産業全体が経験した苦難です。北陸の合成繊維織物は海外マーケットに大きく依存していたことより影響は甚大で、価格競争力のある海外品に市場を奪われ、北陸産地の規模はピークの3分の1以下になってしまいました ――いろんな世界情勢が重なったんですね。困難をどうやって乗り越えて来られたんですか? 私が社長になったのは1990年ですが、ファッションが次第にカジュアル化し、シルキーな衣料への嗜好も薄くなって、その頃から衣料以外の用途を求めた受注の開拓と、商品開発を模索してきました。

タイルカーペットの表地

タイルカーペットの表地

――具体的には?

 1980年代以降は、従来型の衣料用織物だけではコストの面で海外製品に太刀打ちできなくなってきたため、衣料以外の用途を模索し、これまで培ってきた糸から織、加工の技術を結集させ、差別化を進めることで他では真似できない付加価値を持った製品を開発してきました。当社も衣料用素材の差別化はもちろんですが、衣料以外の用途開拓や合成繊維以外の糸による素材開発や受注を積極的に進めました。現在では主に婦人用衣料向けの織物をはじめ、タイルカーペットの表地やティーバッグ用の飲料フィルターなども量産しています。ティーバッグ用の織物はヨーロッパへの輸出も多く、体や環境に安全な製品であることの保証が必須となってきました。そのため、2016年には国際的な食品安全マネジメントシステム認証規格である「FSSC22000」も取得しました。

――衣料用途から他の用途へと展開されたんですね。

 はい。新たに開発したものが事業に結びついた時には喜びを感じますね。今ではほかに、高速道路の床盤(しょうばん)や鉄筋コンクリート脚柱の補強、自転車のフレーム、テニスのラケットに使われる炭素繊維(カーボンファイバー)織物、非常に強い繊維で盾や防弾チョッキ、ヘルメットにも使われるアラミド繊維織物など、様々な産業用資材も製造しています。アラミド繊維は、火山の噴石被害から山小屋の屋根を守るための補強にも用いられています。もちろん、婦人用の衣料や和装・浴衣に使われる織物をはじめ、トーブやアバヤなどといった中近東の民族衣装用の織物などは今でも製造しています。

――そういった可能性を広げていかれたのは、何があったからできたことですか。

 当社の強みは、絹の時代から培ってきた「糸を織物にする技術ノウハウ」です。それぞれの時代で新しい素材・製品を作り、機械の革新にも対応してきました。織物を製品にするには、糸の加工、織機で織る、精練する、染色機で染める、といった工程があり、他産地では経糸(たていと)の整経(せいけい)、サイジング(糊付け)等を分業で行うこともありますが、当社は自社で一貫生産できる設備と技術を確立していることも武器になっています。

――様々な工程に対応できる広い工場がいくつもありますもんね。

靴に使用された和紙布の新たな可能性

和紙布を使用したドイツの子供靴「TANUKI(タヌキ)」

和紙布を使用したドイツの子供靴「TANUKI(タヌキ)」

――最近、新しい分野へも進出されているんですよね。

 2015年からシューズ素材用の和紙布の開発に取り組み、世界で初めて量産化しました。それを使用したスニーカーが2017年にドイツのワイルドリング社イタリアのソルディーニ社から発売されました。ミリ単位で細かくスリットした和紙をこより状に撚りをかけて糸にした「和紙糸」を織物にしたものが「和紙布」なのですが、障子やふすまが日本の家屋の温度調整を担っているのと同じように、和紙布はとても機能的です。和紙布をシューズのアッパーやライニング(内貼り)、インソールに使用すると、汗や水蒸気をどんどん吸収して外へ逃がしてくれるので蒸れを感じにくいんです。天然の素材でありながら、軽さや熱伝導率の低さ、抗菌性等にも優れています。アスリートの大敵である足のマメの原因は、靴の中の湿気と熱によるものです。富山から静岡まで日本アルプスを1週間で縦断する、世界一過酷なレースとしても知られる「TJAR(トランスジャパンアルプスレース)」の選手に、和紙でできたソックスの愛用者が多いことでも実証されています。

シューズ生地にも和紙布を使用

シューズ生地にも和紙布を使用

――素晴らしいですね! 持ってみると重さもとても軽いです。和紙布は新しく開発されたものなんですか?

 和紙布自体は、古くは江戸時代からあるものです。最近でも、軽さや通気性を活かした夏向けのシャツやジャケット用に、綿や合成繊維に少し混ぜて使用される例はありました。シューズ向けの和紙布は和紙糸をメインに使用し、全く性質の異なるポリエステルを混ぜて織らなくてはならないため技術的には簡単ではない織物なのですが、これまで培ってきた技術を活かすことで、量産化に成功しました。今はまだ珍しさの方が先行している素材ですが、機能性の裏付けを持った定番素材として評価されることを目指して開発に取り組んでいます。

――海外の靴メーカーで採用されたとのことですが、日本でも購入することはできるんですか。

 残念ながら、日本では未発売です。

――では、今後は?  

 世界で最初に和紙布の良さを認めてくれたのがイタリアでしたが、現在は国内外のメーカーがテストに取り組んでくれているので、当社で織られた和紙布を使ったシューズが日本で発売される日も近いと思います。和紙布は多彩な機能性を持った素材なので、様々な可能性があります。将来的には、自社での製品化にもチャレンジしてみたいですね。

自社製品が海外で販売される喜び

整経工程の作業を行う若手従業員

整経工程の作業を行う若手従業員

――従業員の方の雇用についてはどうお考えですか?

 ここ10年は、新卒者を継続的に採用しています。同じ高校の先輩・後輩が入社することもあり、18歳から20代の若い従業員が多く、横の繋がりも増えてきています。

――確かに、工場内には若い方が多い印象を受けました!

 新卒のみなさんが人生を過ごす場として当社を選んでくれたら嬉しいです。うちはアナログ的な仕事が多く、物理的に糸を撚ったり織物を織ったりするのは機械ですが、機械を上手く動かすにも経験的なスキルを要します。経験がスキルを磨くため、新しく入って来た人が現場で先輩から扱い方を教わり、仕事に慣れ、改善点を見つけて改良していく流れの中で、社会人として人間的にも成長してほしいです。期待通りに育ってくれたり、色んなアイデアを出してくれたりすると嬉しいですね。それぞれのポジションで自分の役割を理解し、前向きに仕事をしてくれていると良かったなと思います。

――どんな人に入社してもらいたいですか。

 朗らかな人はいいですね。生産に携わるのは、糸から織物までの長い工程をリレーのように素材を渡して製品にしていくわけで、前後の工程の情報や進捗状況の情報共有が欠かせません。その共有の具合が結果にも響いてきます。コミュニケーションを取るという意味では、朗らかで明るいという人は得です。それだけで声をかけたくなります。もちろん専門的に機械とか電気とかの知識を学んできた人も入社してもらいたいですが、知識は会社に入ってからも学べます。

――では、アピールポイントを教えていただけますでしょうか。

 勤務体制ということから言えば、2交替や3交替などの交替制が多いですが、しっかり定められた時間内の勤務です。お盆休みや正月休みは比較的長い期間工場を止めるので、ゆっくりと過ごせます。

――上市町では創業する人も増えています。創業についてのアドバイスなどをいただけますか。

 上市町は「地元意識が比較的に強い土地柄かな」とも思いますが、新しく来られる方々にはそんなことはあまりこだわらず、この地に溶け込んで欲しいですね。例えば、上市町には上市町工場協会という製造業を主体にした集まりがあり、現在51社が登録しています。ここにも入っていただき、コミュニケーションを深めてもらえれば、雇用や行政などについての情報共有ができます。また、上市町の剱岳を背景にした豊かな自然は仕事でのストレスを大いに癒してくれます。富山の人は山が見えないと不安になると言いますが、剱岳を見ながら仕事ができるのは心が落ち着きます。私も剱岳が好きで、紅葉時期や春先、車が通れる頃になると馬場島へ座禅桜(馬場島の県道沿いで岩の上に座して根を張り咲くオオヤマザクラ)を見に行きます。そんな豊かな自然に囲まれた環境に大いに魅力を感じていただき、上市町をより活性化していきましょう。

――本当にそうですね。細川社長、今日はどうもありがとうございました。

 こちらこそありがとうございました。


飾り棚にあった土偶

飾り棚にあった土偶

細川機業さんは、120年以上の歴史を持つ、明治時代からの老舗。1969年に昭和天皇・皇后がご来町された際、昼食時にご滞在された応接室で繊維産業の歴史から新事業の発展のお話まで聴け、ワクワクしました。先日、天皇陛下が来県されたこともあり、感慨深かったです。飾り棚には土偶などの興味深いものが並んでいて、初めて生で見た土偶に、思わず写真を撮らせてもらいました。

現在の本社ロビー

現在の本社ロビー

ここで働く方の中には、両親ともに細川機業・親戚も元従業員の方や、現在も兄弟そろって働いている方がいるほど、上市町では身近な企業です。敷地内はとても広く、8万坪もあり、15年程前までは社内で運動会もあったそう。現在も広大な敷地があり、本社のロビーでも仕事ができそうなほどです。

上市町の伊東前町長も、「はたらくらすコネクションin上市」の立ち上げの際のコメントで最初に名前を挙げられたほど、雇用や移住定住の観点からも町へ多大な貢献をされている細川機業さん。念願だった細川社長へのインタビューが実現し、嬉しかったです。ここからさらに新たな歴史が積み重ねられていくのが楽しみですね。

●DATA●

企業名 細川機業株式会社
住所 上市町正印1
電話番号 076-472-1122
FAX番号 076-472-5139
ホームページ http://hosokawa-tex.co.jp/
E-mail こちらからどうぞ
Facebookページ なし
創業 1891年(明治24年)
取締役社長 細川 泰郎(やすお)
事業内容 合成繊維、天然繊維による織物製造及び精練染色加工
会社・製品の強み 衣料向け・食品包装資材・産業資材・和紙布など、多彩な織物を生産。撚糸工程から整経工程~製織工程まで全てを自社工場内で行う一貫体制をとっています。
上市町との関わり・創業の決め手 細川庄左エ門がこの地に産業を興そうと創業し、126年。地場の産業であることを大事に上市町で事業を継続してきました。
学生へのメッセージ・アピール 継続的に若手を採用していて、20代の多い職場。製造した和紙布を使用した靴がドイツやイタリアで販売中です。
従業員数 144人(男性/78人 女性/66人 2017年11月現在)
資本金 1億円
勤務時間 8:15~16:45
休日 月3回土曜、日曜、その他会社カレンダーによる(1年単位変形労働時間制採用)、盆休、GW、年末年始、電休、誕生日有給1日、リフレッシュ有給3日
求人の有無 あり(新卒採用・中途採用)
過去3年間の採用実績

2015年 新卒5人、中途0人/2016年 新卒4人、中途11人/

2017年 新卒9人、中途9人

過去3年間の売上高

2014年 10億4,438万円/2015年 11億2,229万円/

2016年 12億4,533万円

福利厚生・情報

施設:社宅(2DK・3DK)入居可(20未満助成あり)

制度:健康・厚生・雇用・労災保険加入、親睦会助成、予防接種助成等、 資格支援(必要資格は全額会社負担)、子育て支援(育児休業、短時間勤務可)

インターンシップ実施の有無 なし

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