上市町でくらす

若者よ、上市のスナックへ行け 前編

 

上市町のデザイナー伊東です。

 
私が町の事業に関わらせていただくようになったのは29歳の時。
東京から戻ってきて、これまでの自分をリセットするつもりで
できるとかできないとか、うまいとか下手とか、そういうことを置いといて、
やりたいと思うことをやってみよう。

 

そう思った時に、私は、町を今よりもっと魅力的な場所にしたい。

そのために、自分の中にあるあらゆるもので町に貢献したいと思いました。
 
「うまくいかなくて認めてもらえなくてもいいじゃん、だって所詮オレなんだもの」っていう開き直りのパワーですね。
この時の推進力は今欲しいぐらい大きなパワーでした。
 
とにかく職種や肩書きではなく、役に立つものがあるならそれを生かそうと。
その中の1つのピースがデザインでした。
 
なのでいわゆる「地域デザイン」なんていう言葉は当時の私の頭の中にはありませんでした。

 

これまでデザインやものづくりをやっていて、

なぜ、町を今よりもっと魅力的な場所にしたいという思考回路になったかというと、

 

カラカラに干からびた様になって東京から帰ってきた自分にとって、 日々目にする当たり前だった日常がとても胸に沁みたことが1つ。

 

あとは当時、というかそれ以前は、私の身近な人物で上市町を自慢するような人はいなくて、「何もない」「遊ぶところがない」「飲食店が少ない」「TSUTAYAがない」「自然しかない」あれがないこれがない。

 
耳にするのはそういう類の言葉ばかりだった気がします。
私自身もそんなことを口にしていたと思いますが、あまりにもそういう言葉ばかりが自分の周りに充満してくると、だんだんとあまのじゃくな自分が出てきて、視点を変えてみたくなる。
 
いやいやちょっと待てよ、今あるものの中に面白さを見出せないのは、怠慢なのではないだろうかとか、自分の感性が錆びついていることを認めている行為なのではないだろうか??
という気持ちになって、逆に面白いものを探し出したくなってくるといいますか、仮にもしつまらないところなのなら、本当につまらないかどうか検証してみようじゃないか!
という変な原動力が生まれてきて、 それが後々「かみいち町民のネタ帳」企画に発展して行ったりするのですが、

 

もう誰も覚えていないかもしれませんね(笑)

 

そういった胸の奥で燃えるものを企画書にしたためて、 町役場のとある課に持参したのが今の自分へと繋がる転機であったかもしれません。

 

 

そこから、町の中での人脈ができていき、今のエコンテや商工会青年部にも繋がっていきました。

 
 
 
何を言いたいかといいますと、

 

 

 

私が上市のスナックに行くようになったのは、ようやくこの頃からだということです!
 
 
 
それまでは飲みに行くとすれば決まって富山市内、時々魚津。
 
地元の上市では居酒屋に行くことは時々ありましたが、
 
スナックは自分が入っていい店とも思っていませんでした。

 

 

今、当時の自分に声をかけられるなら教えてあげたいです。

 

 

「行っていいんだぞ」と。

 

 

 

つづく

 

 


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