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もうひとつの市姫物語
上市町のデザイナー伊東です。
少し前の話ですが、
市姫神社の祭礼に訪れた時の事。
普段は扉が閉め切られている市姫神社は、電灯がともり神主さんたちの上げる祝詞と大勢の参拝者でとても賑やか。
「2回お礼をして2回手を叩いて、最後にもう1回礼をするんだよ」と小学校3~4年生ぐらいの子どもの耳元で教え聞かせる声は、前に並ぶ見知らぬお母さん。その声に聞き耳を立てながら、自分の番が来るといきなりパチンパチンと手を叩いてしまう私。お恥ずかしい。
境内から通りへと歩きながら、香具師が随分減ったなあとか、様変わりした露店のメニューに時代の流れを感じつつ(ハムスター、カメ、ヒヨコなどの動物釣り系はもうないのですね!金魚すくいも少ない!)、何故礼をする前に手を叩いてしまったのかを考えてモヤモヤしたり、そんな混沌としたお祭りの夜に、
私はふと「もうひとつの市姫物語」の話を思い出しました。
数多く語り継がれ残されている上市の民話のひとつ「市姫物語(または市姫伝説)」はこの市姫神社の起源の物語です。
ザックリ解説すると、
上市に昔「法音寺」という大きなお寺があって、その西門前に発生した市が毎月三のつく日に開かれたため「三日市」と呼ばれるようになり、地名となりました。
やがてここよりも上(かみ)にある「大徳寺」というお寺の周辺にも市が立ち、これが現在の西中町商店街のあるあたりです。上市町の町名の由来でもあるのですが、
この「三日市」から上の市の商人・次郎右衛門が三日市へ商売に行った帰りに、
美しいお姫様に「ここより上の方にも市が開け繁盛しているらしいですね、私をそこに連れて行ってください」とお願いされ、
次郎右衛門がおぶってお連れしたところついた頃にはお姫様は石になっていて「これは神様に違いない」と社を建ててお祀りした。
というのが上市町に伝わる「市姫物語」あるいは「市姫伝説」のあらましです。
ある時聞いた興味深い話。
「私は市姫神社の御神体を見たことがあるのですが、三日市から上の市に姫をおぶって歩いたという話、ちょっと違うんじゃないかなと思っています。」
そう語ってくださったのは市姫神社のほど近くにある「和装洋装こもり」の店主・小森武次さん。
代々伝わるこのお店の屋号は「次郎右衛門」。
そう、「市姫物語」の主人公と同じ次郎右衛門という名前です。
上市の古地図に記されている市姫神社がこの次郎右衛門と記された小森さんの先祖代々のお宅の前であることもあり、この市姫物語に登場する人物は自身の先祖かもしれないという思いで様々な歴史を調べてこられた小森さん。
続けてこう言われます。
「次郎右衛門が市姫と出会ったのは上市の三日市じゃないと思っています。」
たしかに言われてみれば、
現在の上市駅のそばの三日市から市姫神社のある西中町って、近すぎませんか?(笑)
2つ隣の町内で、1キロもない!
戦後間もない頃から昭和30年代にかけて、私の祖父のお姉さんは、種地区の少し上の骨原から上市の町まで毎日山道を歩いて物売りに行ってたって聞いて驚いた覚えがありますが、
仮にその時代に、その家の囲炉裏端でこの市姫物語が語られていたなら、
「え??! 母ちゃん!! 近くない?!!?! 母ちゃんの方が伝説!!(笑)」
って子どもに猛烈に突っ込まれているはずです。
話の不思議さではそれだけで伝説に値するのかもしれませんが、昔話にしてはスケール感が小さい?!
さて、
小森さんのお話は続きます。
「私が見た御神体の石は大きくて丸くて滑らかで、とてもこの辺の河原で見かけるような荒々しい石ではなかった。
もっと大きな川の下流に近いところでないとこういう石にはならないはず。
つまりこの話に出てくる三日市というのは黒部の三日市なんじゃないかと思うんです。」
「ああ、たしかに黒部の三日市にも市姫神社がありますね!!!」
「そうそう。上市の商人・次郎右衛門は黒部の三日市まで商売に行って、その帰り道、美しいお姫様に『ここから上の方に行ったところでも市が栄えてきているようですね。私をそこに連れて行ってください。』と言われた。それでお姫様をおぶって上の市まで行ったら着いた時には石になっとって、これは商売繁昌の神さまだと、上の市の守り神として祀られたという話だったんじゃないかと思う。」
「なるほど!」
そう解釈すると合点がいきます!
その話を聞いた時から、私も密かにこちらが本当なのではないかと思っています。
真実はわかりません。
正解は誰にもわかりません。
でも未だに新説が唱えられるほど、身近なものとして愛されているというところに大きな大きな価値があると思うのです。
上市町には本当にたくさんの民話が残っています。その多くは「上市の昔ばなし」という書籍にまとめられ、町のホームページでも読むことができます。
誤解を恐れずに言えば、現代の感覚では「つまらない」と感じるお話も多く収録されています。
でも私はそのつまらなさにこそに価値があると感じています。
テレビもラジオもない時代、民話はエンターテイメントであったはずです。
山村の囲炉裏端や街の長屋の寝床で子どもたちに語って聞かせる宝物のような時間が今日まで繋がってきていることに時代を超えた愛を感じます。
民話はその時代を生きた人々の息づかいであり、子を思う気持ちなのです。
今の時代にはこれほどのたくさんの民話はきっと生まれないし残らないでしょう。
よくできた刺激的な物語に溢れ、キレイに設えられたものが当たり前に身の回りにある今の時代。
キレイなものってつまらないなと思うことありませんか?私はあります。
民話の荒さがいいじゃないですか!
荒くなければ今日まで新説が唱えられるなんてことはないのです!
民話が子ども達のエンターテイメントだった頃。
話し手も聞き手も相当クリエイティブだったことは間違いありません。
ああ、お話のひとつも作れる自分になりたい!
そんなことを思った祭りの夜でありました。
と、ここまでは私の記憶の中のお話。
ここに書くにあたって
この説に関してあらためて小森さんに確認に行ったところ、ちょっと面白い展開に。
それはまた次回に!