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門松は日本のクリスマスツリーだ
上市町のデザイナー伊東です。
タイトルが、いきなり結論でございます。
私は昔からクリスマスに対して一歩引いているところがあり、
小学校の高学年ぐらいのとき、親に「クリスマスプレゼントはいらんよ。キリスト教でもないし。」
といった覚えがあります。
もちろん幼少の頃はクリスマスイブの夜はワクワクして眠れなかったり、
朝起きて枕元に置いてあるプレゼントに大興奮していたものです。
その頃はほんとにサンタクロースがいると信じてました。
なぜなら、ある年父の枕元にもプレゼントが置いてあったため、
「サンタお父さん説」が覆されてしまったのです。
当時ヘビースモーカーだった父の枕元に置いてあったのは
最近あまり見かけなくなった、タバコ型のチョコレート。
父に会ったことのないはずのサンタクロースのチョイス恐るべし!
と幼いながらに思いました。
いやあ、うちの親、頑張ってたんですね!!
そんな私も、成長するにつれ、クリスマスを迎えるたびに、
なぜ僕はキリスト教徒でもないのに、お祈りもしないしミサというものにもいかないのに
キリストさんの誕生日を祝うんだろう。
なぜ、キリストさんの誕生日に僕がプレゼントを当たり前にもらうのだろう。
という腑に落ちることのない矛盾を感じ始め、徐々に冷めていきました。
説明がつかないのです!
自分がそんな感じなので、長い付き合いの妻にもクリスマスプレゼントというものは1回か2回ぐらいしか贈ったことがありません。
というか贈った覚えはありませんが、さすがに1回や2回は贈ってないと嫌われてるだろ(笑)という感じです。
しかし、そのクリスマスのすぐ後にやってくるお正月の文化風習は、もれなく腑に落ちます。
すべての説明に納得できますし、無理がなく自然なのです。
それは大人になってからのほうがより奥深さを感じています。
最近あらためて感じたのが、門松のおもしろさ!
私はこれまで門松というものを一度も飾ったことがなかったのですが、
先日、来年1月27日に開催する「雪のゆうえんち」の打ち合わせのために、
東種にある白萩南部公民館に伺った際、打ち合わせの相手の廣田館長はピロティーで村の皆さんのための門松の仕込み中。
「上がられ上がられ」と室内に移動して小一時間ほどの打ち合わせをして、帰りにピロティーを通りがかった時、
「廣田さん、立派な門松ですねぇ」
なんて話していたら、
「あんたひとつ持っていかれっか」と言っていただいたのですが、
門松を作ったことのない私は若干困惑しながら、でもせっかくだからと思い、
「じゃあ、小さいのでいいのでひとついただきます」と答えました。
それに対し廣田館長は
「遠慮しられんな。でっかいやつ持ってっていいから」
と言って大きめのものを抱えてこられ、
ドスンと置いたかと思えば
「あんた飾るもんちゃ持っとらんかろ。ちょっと待っとられ」
とハサミを持って裏の林の中にずんずん入っていかれます。
パシッパシッと門松の飾りとなる枝や葉っぱを取って
「ホントならこの南天の実も使えればいいがだけど今年は実がぜんぶ落ちてしまってのお」
と残念がりながら、使えそうなものをものの5~10分で揃えてくださいました。
必要なものが全部裏の林で調達できることが私にとって小さな感動でした。
日本の文化風習、ちゃんと身近なところで材料が揃うのです。
この無理のない感じ。
なるほど。クリスマスツリーではこうはいきません。
あらためて日本人が何故か浮かれてしまうクリスマスが私達にとっていかに自然でないかを再度実感しました。
事務所に戻って材料を置いて、年末のバタバタで数日放置してしまったせいで笹や榊の葉がからからになってしまいましたが、(廣田さん本当にごめんなさい)
仕事納めの日にやっと作ることが出来ました。
さて、ここからどう飾りつけよう。
これをクリスマスツリーを飾り付けるようにオーナメントを付けたりしたらきっと子供も楽しいはず。
どうせなら、身近にあるこんな素敵な文化風習に今の子供達が楽しめる形を求めていったほうが豊かじゃないか?!
そう思いませんか?
本当にいい機会をいただきました。