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灯台下明るしを目指そう ~上市って宝物がたくさん~ Vol.4
こんにちは。坂本です。早いもので上市に引っ越してきて1年が経ちました。7月6日の夜の電車に揺られて東京から上市にやってまいりました。魚津駅で鈍行列車に乗り換えたのですが、まぁ、その時に上市在住のご夫婦に出会いまして、本当に親切にしていただきました。子供を抱えた私のために、なんと重たいバッグを持ってくれたのです。
失礼ながら、本来は私の方が「お荷物お持ちしましょうか」と言わねばならない方々だったのですが、その時の上市弁(富山弁?)が忘れられないから、次の言葉を思い出しました。
「方言は地域の宝物」
この言葉をよく聞きます。(聞きますよね?)
私ごとですが、長男は2歳という多感な時期に上市に住まいを移しまして、今ではすっかり言葉も上市弁に染まりましたよ。今は3歳になっていますが、2歳の時に私を叱った言葉が忘れられません。
あれは食事中のことでした。マナーとしてよろしくないのですが、私は、テーブルに肘をついていたのです。
そこへ一喝、、、
「そこで、テーブルに肘をついてご飯を食べてるのは誰け!」
叱られた・・・という感覚よりも「何と言う立派な上市弁(富山弁)」という感情の方が先だってしまいました。
富山弁って何か独特な感じがします。富山弁と言ってもひとくくりにはできませんよね。
私は愛媛→山形→東京→富山と移り住んだわけですが、何となく、西と東のどちらかに大別できるような気がしていましたが、富山弁ってどっち?西側の愛媛県的感覚で考えても、東側の山形県的感覚で考えても、どうも同族ではない気がするのです。
さて、本題。その地域の言葉を好きになるかどうかというのは、ずばり「誰が話しているか」によるのではないかというのが、坂本説です。ここでようやく冒頭のお話がでてくるわけです。素敵なご夫婦が話してるから富山弁が好きになる、上市町役場の方が親切にしてくれるからその言葉が嬉しい、保育園の先生がとても優しい笑顔なのでその言葉が美しい、園児たちが何故か私のことを「意地悪な○○くんのパパ」というレッテルを貼るのでその言葉が可愛らしい、そして息子どもが富山弁でお父さんに反抗してくるのでその言葉が身近に感じられるのです。
方言が宝物というのは、言い換えると「人が宝物」と言えるのではないでしょうか。
——以下、番外編——-
方言に恋した初めての経験を語らせてください。
あれは16歳の春のことでした。(私にも16歳の時期があったのか・・・)
愛媛から山形に転校したのです。最初は道行く人々の会話を聞いて「お、ずうずう弁だ」と思っていました。ところが転校先の高校でとてもかわいらしい女の子から次の言葉が発せられました。
「さがもとくんって、なんか関西弁でなまっでるんでね?」
単語もイントネーションも、まさに「ザ・ずうずう弁」を自在に操り、私に浴びせてくるのです。
その子のこと以上に、一気に山形弁が好きになりました。
ひょっとしたら、第2回で美人さんが多いというブログを書いた記憶がありますが、美人さんである人たちがことごとく上市弁を操るから好きになったのかも・・・。