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東大生、富山に帰る-就職編3.スーパーカー、一般道は、走れない-
競争を求めるという嗜み
手の付けられない、暴れ馬のように過ごしていました。
常に「目の前の相手をやり込めてやるにはどうするべきか」という命題が頭にありました。
これが顕著になったのは高校入学以降。
中部高校や東大の教師は優秀で、実に競い甲斐のある人物が揃っていました。
加えて、そうした人たちは私の「無闇に競争を求める悪癖」を、甘噛みとして受け入れるだけの度量、大きな器がありました。そのため日々、スーパーカーが速度を競うように、彼らとの知恵比べに明け暮れていました。
大人物を正面から相手にするのは、実に楽しい!自分の強さと成長を実感できる!
今にして思えば、この「悪癖」は「力への意志」の萌芽だったのでしょう。
「力への意志」のない者は死んでいる
「力への意志」とは、
とある目的があり力を得ようとするのではなく、
力を得ることそれ自体を目的とする向上心の一つの形態です。
目的の達成ではなく、ただ強くなることそれ自体を喜びとします。
もちろん、目的があることが悪いということではありません。
目的がなくとも力を付けようとすることを賞賛する概念なのです。
「不必要な力は持つべきではない」という考え方とは対立することが多いでしょう。
一線から引退した格闘家が未だ修行をするとすればこの心境に到るかもしれません。
私は「力への意志」を失った時点で、それはもはや生きていないと見なします。
目的や命令がなくては成長できないのでは
それはただの奴隷やマシーンと変わりません。
成長し、進化し続けてこそ、生きている甲斐があるというものです。。
『脱皮できない蛇は滅びる』ともニーチェは指摘しているのですから。
特に『世界的視野をもった市民的エリート』(東京大学アドミッション・ポリシーより)たることをとしての東大生の場合は「力への意志」を抱いていることを自負し、己の存在を強大なものに変えていかねばなりません。
何時如何なる時でも力を発揮することを、周囲から求められ、それ以上に自分自身で求めているのが東大生としてのサガだと思っています。
強大になり、世界を変革せしめてこその東大生と言えるでしょう。
これは思想や理念というより、信仰ですね。
だからそう簡単には考えを変えられません。
危険性だけが注目される「力への意志」
しかしながら「目的を持たずとも力を持とうとする」ことは危険性も孕みます。
目的の正当性が問われないこともあり、ナチスに利用された過去もあります。
そのためか現代日本では、こうした危険性や問題点ばかりを見て、
「力への意志」がもたらす勝利と戦果の大きさを評価してくれません。
おかげで就職活動では苦労しました。
筆記試験を軽くパスしても、面接で『扱い辛い』と判断され落とされることの繰り返しでした。
この時に思い起こされたのは「スーパーカーでも一般の速度制限を守って走行している」という事実。私自身もハイスペックを誇るのではなく、従順に速度制御装置を付けて生きるべきなのか、そう自問しました。
―だが、それでは退屈で死んでしまう。今まで競争を仕掛けた相手にも不義理だ。
スーパーカーは一般道ではなく、フルスロットルを出せるサーキットこそ相応しい―
だから、焦って就職しようとせず、待つことにしたのです。このとき『出会いを待つならばどこで待っていても同じ』だと考えて、生活費を下げるためにも富山にUターンしました。
もう一度、私を乗りこなせるほどの大人物に出会い、競争の中に身を置ける日を
死せる私は富山の館にて夢見るままに待ちいたり
次回『就職編4.東大生は、生きるべきか死ぬべきか』に続く。
ライター:竹島雄弥
富山県立富山中部高等学校卒業
東京大学農学部環境資源科学過程生物・環境工学専修卒業
大学卒業後、ふるさと富山にUターン。プロジェクトデザインに新卒で入社。
事務所内でのもっとも重要な仕事はおいしい紅茶を淹れることである。