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禅のある町
上市町在住のデザイナー伊東です。
これ、なんだかわかりますか??
これは座禅用の座布団の座蒲(ざふ)と呼ばれるものです。
みなさん、座禅ってやったことありますか?
子供の頃、お寺にお参りに行ってお経一本分座っていることすら苦痛でしかなかったのに、座禅を組んで何十分もジッと座って気を抜いたら背後から木の板がバシィーーンと飛んできて「カァァァァツッ!!」とか言われるあれ、あんなの何が面白いの?!
と実際やってみるまではそう思っていた私。
禅にもいろいろあるそうですが、
私が度々体験させていただいている座禅の作法では、
方丈(住職)さんが激励の意味を込めて打つ以外は
こちらから求めて打ってもらいます。
集中力が切れてきたときや睡魔に負けそうなとき合図を送って
パシィンと警策(あの板のことです)を入れていただくのです。
禅は脳内のスイッチをリセットするのにとても良いです。
あまり専門的なことは書けませんので、私の感覚をそのままお伝えします。
私の禅はこんな感じ!
丸い座蒲に座り足を組む。(私はちゃんとした座禅は組めませんのであぐらに近い組み方ですが、それでも良いのです。)
そして目を瞑るでも開けるでもなく前方の畳の縁あたりを見つめて、座禅が始まるのですが、
はじめは頭の中が騒がしいです。
今まさに納期が迫る仕事のことや、前の日に飲みすぎたこと(納期が迫っていても飲まなくてはいけないときもあるのです・・・)などなどいろんなことが頭の中を駆け回ります。
まあいわゆる雑念というやつですね。
そこから少し落ち着いてくると、
今まで気にならなかった音が聞こえるようになってきます。
空調とか、外の風の音とか。
頭の中は、完全な無ではありませんが、
少しずつ空間に溶け込んでいくような感覚になります。
この感覚が自分的にはTHE禅な時間です。
しかしそんな時間も長くは続きません。
そのうちにレム睡眠の扉がちらついてきます。
放おって置くと体がカクン!となって恥ずかしい思いをするので、
手を合わせて首を左に傾け右肩をあけて警策を打っていただき、立て直します。
これを約30分ほど続けるのですが、長いようで意外と短いというのが私の感覚です。
考えても見てください。
日常の中に30分間、「ただそこにある」という状態に身をおくことなんてまずありません。
常に何かを見聞きし、何かを考え、何かを飲み食いし、何かを話し、
常に何かを動かしなにかに動かされているものです。
特に今の時代はスマホの普及で常に膨大な情報が飛び交う中に生きています。
こんな田舎でも日々目まぐるしいのです。
そして仕事ではいろんなインプットをします。
現代人はとにかく脳がフル回転しています。
だからこそ禅の時間を持つというのは非常に重要なことなのです。
スティーブ・ジョブズもやるわけです。
現代人にこそ身近にあるべきこの「禅」。
私がどこで体験しているかというと、上市町の通称「さっかの寺」です。
「さっかのてら」こと眼目山立山寺(がんもくざんりゅうせんじ)では
「喫茶去」という座禅会が定期的に開かれています。
次の開催は把握しておりませんが、気になる方はぜひ立山寺さんへお問い合わせください。
興味をお持ちの方はぜひご体験ください。
最近こういった宗教的な行事や作法などが実に俗世に寄り添ったおおらかなものに感じます。
祈りや願い、感謝の表しは、実は自由で多種多様です。
例えば上市町の石仏のお地蔵さん。滑川方面、水橋方面、上市方面への道が交わるところにある祠に、
一般的な人形のお地蔵さんが入ってる思いきや祀られているのは石の板。
これにはこんないわれがあるそう。
面白いですね。
形っていうのは多様であって良いんですよね。
「これを村でお祀りしよう」という思いのほうが尊いのだなと私は思います。
座禅だって、もちろん作法はあり守らなくてはいけないのですが、
百人いたら百通りの禅の時間が流れてていいと思うんです。
価値っていうのはそうなんですよね。と再確認。
それにしても、
禅のある町って素敵だと思いませんか?
P.S.
昨年、コピーライター&CMディレクターの大塚さんとその奥様にこの立山寺での座禅を体験していただいたのですが、座禅初挑戦の大塚さんのレポートが、最高に面白いのでこちらもぜひ読んでみてください!